妖精駆除
（「ＩＮ★ＰＯＣＫＥＴ」１９８７年６月号掲載）
どうもここ数日ぶんぶんと耳障りな音がしていると思ったら、案の定冷蔵庫の裏で妖精（フェアリー）が巣を造っていた。
テレビ・モニタにホーム・バンクを呼び出し、預金の残高を確認してから、『妖精狩り（フェアリー・エクスタミネーター）』のサービスセンターに回線を切り替えた。
――はい、日本妖精駆除研究所でございます。
僕は営業用の笑顔を手術で固定しているに違いないそのオペレーターに住所と住民番号（レジデントナンバー）を告げ、駆除を依頼した。
――それでは只今からモニタに映します口座番号が貴方様のものであることを確認してください。よろしければ作業完了後、料金を引き落とさせていただきます。係員はこれより二十七分後に伺います。
モニタをMTVに切り替えて新作のビデオを見ながら、僕は少し憂鬱になっていた。妖精駆除の料金はそれほど安いものじゃない。この部屋に体感音響装置（ボディソニックシステム）を取り付ける計画は、少なくともあと半年延ばさなければならないだろう。
正確に二十七分して、ドアのチャイムが押された。ドア・モニタは向こう側に立つ男が着けているバッジを本物と確認していた。僕は電磁ロックを解除した。
立っていたのは百九十センチ以上はありそうな筋肉男だった。『妖精狩り』のシンボルでもある片眼鏡（モノクル）をかけている。いや、「かけている」というのは正確な表現ではない。彼等は角膜の代わりにこの片眼鏡を移植しているのだ。
「日本妖精駆除研究所から参りました。巣は何処ですか」
彼は新型車のカタログを説明するセールスマンのような口調で言った。
僕が冷蔵庫を指で示すと、彼は七十キロはある筈の大型冷蔵庫を片手でひょいと持ち上げた。途端に二、三匹の妖精が飛び出した。
「でかいな、これは……」
『妖精狩り』が呟いた。
「もう少し早く気づいていればよかったんだけど」
僕は妙に気後れしていた。多分相手の肉体に対するコンプレックスのせいだろう。
「まあ、後悔しても遅いけどね」
「後悔は何時だって遅すぎるものです」
と、『妖精狩り』は黒革のケースから道具を出しながら言った。
「早すぎる場合は、後悔ではなく悲観と言いますがね」
僕を見つめ、こちらの反応を探るように片眼鏡を光らせた。なんだか本当に心の中を見透かされているような気がする。
頭の上を飛び回っている妖精を一匹、親指と人差し指だけで無造作に捕まえると、彼は片眼鏡の焦点を調節して観察を始めた。
「確か、こちらでは七ヶ月前にも妖精が発生してましたね」
「ええ、どうもこのあたりは妖精が多いみたいで」
おかげで余計な出費ばかりかさんでしまう。ひょっとして、この前の駆除が完全でなかったのではないだろうか。だとしたら、今日の分は無償にしてもらえるのだが……。
「いや、そんなことはありません」
彼はアクリルの毒壷に妖精を落とし込むと、今度は巣の方を調べ始めた。
「どんな場所でも一度退治したら、十年は大丈夫な筈です。妖精の発生は地域的なものではなく、むしろ――」
壁に穿たれた穴に差し込まれたピンセットが妖精の卵をつまみ出した。小指の爪ほどの大きさのピンクの卵が六個、孵る寸前らしく中で妖精の幼生が動いているのが空けてみえた。
「回線を貸してください」
『妖精狩り』はそう言うと、僕の返事も聞かずに奥の部屋へ行き、MTVを流しっぱなしにしていたモニタを画像電話（ビジフォン）に切り替えていた。
――A.I.Aです。
「こちらはISK00472。A情報。場所は――」
よくわからないが、厄介なことになったらしい。A.I.Aって、何だ？
画像電話を切った『妖精狩り』は、僕のほうに振り返った。
針銃（ニードル）が握られている。
こんな場合には、何か気の利いたジョークを言って場の雰囲気を変えるべきかもしれない。だけど、出来なかった。舌が喉に貼り付いて、呼吸が停まりそうだったからだ。
「動かない方がいい。部屋を汚したくないだろ？」
『妖精狩り』がここへ来て初めて笑みを見せた。アナコンダの顔にもう少し随意筋があったなら、こんな笑い方が出来るかもしれない。
「ここへ来る前は五十パーセントの確信しかなかった。俺のジョークに反応した時点で七十パーセント。今じゃ完璧だ。夢想者（ドリーマー）め」
「い、一体、なんの――」
僕の必死の抗弁も、彼のひとにらみの前に溶けて流れてしまった。
「どうやら自覚してはいないようだな」
『妖精狩り』は毒壷を眼の高さに上げて見せた。既に動かなくなった妖精が一匹と、ピンクの卵が入っている。
「こいつは妖精じゃない。よく見ろ」
投げられた壷を危うく落としそうになる。
「妖精なら昆虫形の羽根を持っているが、そいつの羽根には羽毛がある。わかるか。そいつは天使（エンジェル）なんだ」
僕は毒壷を落とした。
「知らないかもしれないが、すべての『妖精狩り』は天使情報局（A.I.A）のメンバーであり、天使所持者に対しては逮捕権を行使出来る」
「そんな、そんなことって……。僕はなんにも知らなかったんだ」
「知らないじゃ済まないな。夢想（ドリーミング）による天使の創造が禁止されていることくらい、子供でも知っていることだ」
「でも、本当なんだ」
僕は必死だった。天使創造は重犯罪だ。下手をすれば人格破壊処置をされかねない。
「第一、天使を密造している奴が、ひとに堂々と見せたりするものか」
「故意にやっている場合はな。だが自分でも気づかないで天使を創造することもある」
「それは単なる事故――」
「過失だよ」
『妖精狩り』の声は冷たく、断定的だった。
「その場合は療養所（サナトリウム）送りだ。もっとも出てこられる確率は投げた石を月に命中させる程度だがね」
腰から下の感覚がなくなっていた。そのまま座り込んでしまう。
『妖精狩り』は僕の前にしゃがみ込むと、片眼鏡を光らせた。針銃は構えたままだ。
「おまえ、夢を持っているだろう」
「………………」
「隠したって駄目だ。あの天使が何よりの証拠さ。言ってみな。もっと幸せになりたいなんて、思ってるんじゃないのかね？」
「………………」
「そのうちに今よりいい暮らしが出来るようになるかもしれない、とか、何時かもっといい世の中になるかもしれないとか」
「………………」
「今の自分は本当の自分じゃない。もっと何かやるべきことがある筈だ。自分が本来の自分を取り戻すために、より良い社会を自らの手で築き上げなければならない」
「………………」
「それが甘いってんだよ！」
突然の喝に、僕の心臓が一瞬停まり、それからジルバを踊り出した。
「いいか、眼を離すな。今おまえがいるこの現実から眼を離すな。そして認めろ。すべてをだ。すべての機構（システム）。すべての情報。すべての人間。すべての自分。現実から逃避するな。『今以上のもの』なんて夢想に惑わされるな。今おまえがいる所。ここがベストだ。他にはない。ここよりいい所なんてありはしないんだ。わかったか。わかったか。わかったか！」
涙が、とまらなかった。声をあげて、泣いた。何年ぶりかで、置いていかれた子供のように、泣いた。
突っ伏している僕の肩に、大きな手が置かれた。
「駆除は、完了しましたよ」
「え？」
驚いて顔を上げた僕の前に、『妖精狩り』の先程までとはまるで違った優しい笑顔があった。
「天使も妖精もすっかり駆除出来ましたよ。御覧なさい」
見るとさっきまで部屋の中を煩く飛び回っていた妖精たちが、全部床に落ちていた。
「ちょっと荒っぽい方法なんだが、奴等を根絶やしにするにはこれしかなくてね」
彼は煙草をくわえ、一本を僕に差し出した。まだ震えている指に挟み、苦労して火をつけ、胸一杯に吸い込んだ。
「妖精どもは希望とか向上心とか、そんな人間の弱い部分に反応し、繁殖を始めるんです。そして養分を一定のレベル以上摂取すると、天使に変態する。こうなったら手がつけられない。奴等の毒性は強力ですからね。やられちまったら最後、現実を無視して理想ばかり追いかける無能な夢想者になってしまう。せっかく我々が有史以来の理想主義から脱却し、現実のみを直視することによって高度技術とうまく融合出来たというのに、逆戻りさせられたくないですからね。それで私等『妖精狩り』の出番というわけです。妖精にとりつかれたひとの精神を矯正して正しい道に導くのが本来の仕事なんです。貴方はもう大丈夫だ。これからもしっかりと現実を見据えて生きてください」
そう言って、彼は去った。
暫くの間、僕は動けなかった。いつか人に聞いたことがあったが、夢にとりつかれた後がこんなに空しいものだとは知らなかった。体の中に大きな空洞が出来たみたいだ。それだけ重症だったということか。
しかし、もう終わったのだ。僕はきれいに夢を拭い去ることが出来た。これからは、あるがままの世界を受け入れて生きればいい。
とりあえずは、妖精の死骸を片づけなければならない。こいつらときたら、もう変な臭いがし始めている。
やはり、夢は腐りやすいものなのだ。
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