へい
（「ショートショートランド」１９８５年１＋２号に掲載）
ゆみちゃんの家と、となりの家のあいだには、「へい」がありました。
古くて、両はじがぼろぼろになった板きれをならべて打ちつけただけの「へい」。それは、ゆみちゃんの家と、となりの家のまわりをぐるりととりまいていました。
「へい」がないのは家の前だけでしたから、空から見ると「へい」はきっと「３」の字のようになっているのでしょう。ゆみちゃんはじぶんの家を空から見たことはありませんが、ようちえんで「３」はおしえてもらったばかりなのです。
ゆみちゃんには、この「へい」がとてもふしぎなものに思えました。だって「へい」の下から見えたタンポポの花を取ろうとしたとき、おかあさんにひどくしかられてしまったのです。
「ゆみちゃん、おとなりの物を取っちゃいけません」
おかあさんは、とてもこわい顔でおこったのでした。
なのに、となりのおばさんが庭のチューリップを切って持ってきてくれたときは、とてもうれしそうな顔をして、
「まあ、いいわね。ゆみちゃん、おばさんにありがとうっていいましょうね」
といったのです。
「ねえ、どうしてタンポポはいけなくて、チューリップならいいの」
ゆみちゃんがきくと、おかあさんはこまった顔をして、
「それはね、よそさまの家の物を、だまって持っていってはだめだからよ」
といいました。
でも、ほんとにそれだけでしょうか。ゆみちゃんは、また考えてしまいます。
ゆみちゃんの家の庭には、一本の松の木がありました。とっても大きな松で、枝が一本、すうっと横にのびて、「へい」をまたいでいるのでした。きょう、そののびてきた枝を、となりのおじさんが大きなハサミで切っていたのでした。
ちょっきん。ちょっきん。
「へい」の下のほうからのぞくと、はしごの上のおじさんはなにかぶつぶついいながら枝を切りはらっていましたが、ひょいと下をむいて、ゆみちゃんをにらみつけました。その顔のこわいことといったら。
ゆみちゃんはあわてて家の中ににげると、おとうさんにいいました。
「おとうさん、となりのおじさんがねえ、うちの木を、ちょっきん、ちょっきん、切ってるよ。それでね、ゆみちゃんのこと、とってもこわい顔で見るの。おとうさん、おこってよ」
でも、おとうさんはすわったまま、
「いいんだよ、あれは」
そういって、新聞から目をはなそうとしません。
「どうして。おじさんはうちの木をだまって持っていってるのよ」
「いいといってるだろうが。あの『へい』はな、うちと、となりとの境界なんだ。『へい』の中の物は、ぜんぶうちの物。外にあるのは、よその物だ。それがきまりなんだ」
ゆみちゃんにはその「きまり」というものがよくわからなかったのですが、もうききませんでした。これ以上なにかいうと、またおとうさんにしかられそうな気がしたからです。
ゆみちゃんはもう一度、外へ出てみました。
松の木は「へい」から飛びだした枝がきれいに切りとられていました。とてもぶかっこうです。
ゆみちゃんは、みんなこの「へい」がわるいんだと思いました。
おとうさんと、となりのおじさんは、仲がわるいわけではないのです。それどころか、お休みにはふたりでゴルフに行ったりするのですから、ともだちなのでしょう。それが、この「へい」があいだに入ると、とたんに仲がわるくなってしまいます。やっぱり「へい」がいけないにちがいありません。
そう思いましたから、ゆみちゃんは、この「へい」なんかなくなってしまえばいいと考えました。といっても、小さなゆみちゃんではどうすることもできません。ゆみちゃんは、ただうろうろと「へい」の前をあるきまわっていました。
すると「へい」の板きれが一枚だけ、くさって取れかかっていました。ゆみちゃんが石を持ってきてたたくと、小さな木くずがぼろぼろと落ちてきて、いまにもこわれそうです。ゆみちゃんはおもしろくなって、なんどもたたいてみました。
やがて、板をうちつけていたくぎのところが割れて、板きれが、ごとん、と落ちてしまいました。
「へい」にぽっかりあいた穴。「３」の字のまんなかの棒が、ふたつにわかれてしまったのです。
ゆみちゃんはとくいでした。じぶんの力で、となりの家と仲たがいするもとをこわすことができたのですから。これでもう、ゆみちゃんの家ととなりの家は、いつまでも仲よくくらしていけるでしょう。ゆみちゃんは大よろこびで、じぶんのあけた穴から顔を出して、となりをのぞきこみました。
ちょっきん。
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